連続テレビ小説(NHKの朝ドラ)「おひさま」特設応援サイト!!

安曇野すまいるは 連続テレビ小説(NHKの朝ドラ)「おひさま」の舞台、信州そばでも有名な信州安曇野が地元色満載で応援するサイトです。

  • ホーム
  • 新着情報
  • トピックス
  • 行ってみましょ!

NHK朝ドラ「おひさま」の舞台 信州・安曇野

トピックス

安曇野の陽子たち

「おひさま」のストーリーのように、昭和という時代を明るく力強く安曇野を生きてきた女性、<安曇野の陽子>に当時の話を聞きました。

(陽子:以下、陽)(聞き手:以下、内)

内:「おひさま」のストーリーは昭和10年ころから、戦後、昭和26年ころまでですが、当時のことについてお話を聞かせてください。

陽:戦争中は学校には通っていたんだけど、授業ではなく出征兵士の家に農作業の手伝いに行かされたの。下の子の面倒を見たり、帰ったら親の手伝いをして勉強なんてできる状況じゃなかったわ。米は強制的に国に取られてしまったので(強出といわれた)、他にお蚕を飼ったり、たばこの葉を納めていたんだけど、夜、眠いのにたばこの葉をのばす作業は辛くて、途中で寝てしまうのよね。そうすると親が手を<ぴしゃ!>と叩くの。それがまた痛くてね。

内:たばこの葉を伸ばすのですか

陽:葉っぱはいろいろあって、土葉・中葉・天葉といって形も違ったのよ。それを伸ばして、ワラに縛り付けてたの。これが現金収入だったのね。こんなことしてたから勉強なんて雰囲気はなく、6年生卒業すれば、クラスの半分は名古屋の紡績工場へ働きにいったのよね。今の時代には考えられないでしょ。

橋に憲兵が隠れていて「どこに行くんだ?身分を示せ」と言われて怖かった。スパイを調べていたんだけど、どこに行くにも監視されていたように思えるわよね。そんな暗い時代だったのよ。

内:その中でも「おひさま」のような存在は何でしたか。

陽:バスを降りてから家まで40分歩かなくてはいけなかったんだけど、母が茹でた熱々のトウモロコシを冷めないようにお腹に入れて迎えに来てくれたの。その姿が心に残ってるね。熱かっただろうに私においしく食べさせるためにやってくれた母のそんな気遣いが、心の支えだったかねぇ。

内:戦後はどうでしたか。

陽:明科の木戸にあった<小林医院>では一人前の看護婦にしてくれる、学校へも働きながら通わせてくれるっていうのでお世話になったのよ。朝5時から手伝って、午後には城西(松本市)の看護学校に。また夕方に戻ってきてから仕事を手伝って…学校の勉強の復習が大変で、眠くて眠くて目の周りにハッカをつけて寝ないように頑張ったよ。

内:よく言われたことで、今でも心に残っている言葉があれば教えてください。

陽:何かにつけて「そんなことで嫁にいったらどうするだ?!」といわれて厳しくしつけられたものだよ。何やるにつけても言われて。でも、そういう躾は嫁入り先で全てが役に立ったのよ。今の親はどうしているかわからないけど、人に迷惑をかけてはいけない、っていうのが昔の人にはあったから、そのときは厳しかったかもしれないけど今とはちょっと違うのかもしれないね。

内:当時の恋愛はどうでしたか。ちなみに初恋は。

陽:もちろん、人を好きになるってことは今も昔も同じ。私なんか初恋は小学生のころ。でもその初恋の人は戦死しちゃったしね。いいな、と思っても交際するとかそういうことは殆どなかったと思うよ。好意を持つ心は今も昔も関係ないけど、付き合うなんてことは口にできなかったよ。人目を忍んでこそこそ会っていたり、もちろん、人前で手なんかつなげなかったよ。結婚はお見合いが殆どなんじゃないかなぁ。見合いのときはロクに相手の顔なんて見れなくて、結婚してから、あ~、こんな顔だったんだなんて思っちゃたわよ。あなたも、初恋はいつだった?

内:…小学生でしたね。そうですね。好きって気持ちに時代は関係ないですよね。ちなみに、今は無いけど、当時あったものでまた食べてみたい!と思うものはありますか

陽:「わりめし」が食べたいなぁ。大麦を石臼で引いて白米と炊くのね。それに味噌をつけて食べたり、かつおぶしをつけたり…もう一度食べてみたいけど石臼がねぇ。もうあまり見ないよね。

内:食べたことないので、石臼があったら是非作ってみたいですね。地元の味噌はおいしいですからね。

陽:当時も味噌はおいしかったのよ。でも物資は不足していたわね。小豆や砂糖がなかったから塩だけでおやきを作ったりもしたのよ。当時は衣料でも何でも配給切符があって、それがないと購入できなかった時代だからねぇ。

内:最後に、今の時代と当時とを振り返って思うことを、私たちにメッセージとしていただけますか。

陽:今のほうが生活は本当に楽だし幸せだと思うのよ。でも、戦争は良くないことだけどそのことが人々の心を結びつけて団結させていたというのは事実で、その点ではとてもよい時代だったと思うのよ。人情があって物がないからこそ助け合いの精神で乗り切ったように私には思えるの。都会に比べて安曇野は人間関係もまだよくて、景色も空気もきれいだし穏やかに感じるねぇ。でも、そのことに気付いて大切にしている人は少ないかもしれないね。うまくいかないときは何でも不幸と思ったり、人のせいにせず、もっと周りと自分を大切に生きてほしいかねぇ。

今回、戦争の前後についてテレビや学校で見たり聞いたりしたことはあったものの、直接話を伺える機会は初めてでした。実際にそのときを生きた方が口にする言葉は大変重く、当時の様子がより詳細に伝わりました。最後に、お話をお伺いした<陽子>さんが「私、粗食だったから長生きなのかしら。」といって笑った顔がとても印象的でした。

<陽子>T15.3月生まれ 85歳
2011年3月18日 撮影

安曇野インフォメーション

  • 安曇野の天気
  • 全国からのアクセス
  • 安曇野周辺マップ
  • 安曇野の交通手段
  • おすすめ レンタサイクルで安曇野を周遊 詳しくはこちら
  • 安曇野市ホームページ

おでかけ便利サイト

  • JR東日本 長野支社
  • 長野県観光ガイドタクシー
  • フジドリームエアラインズ